夫婦脳の違いを知れば、夫婦はもっと分かり合える

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夫婦はなぜ分かり合えないの?

結婚前に多くの女性が陥る幻想があります。

自分が見ているものを恋人も同じように見て、自分が感じていることを恋人も同じように感じている、という幻想。

心理学を勉強した人なら、私たちが同じものを見て、聞いているように見えても、その認知の仕方は、人ごとに全く違うということをご存知と思います。

まして男女の脳は、その構造も流れるホルモンも、全く違う生物のものと言っても過言ではありません。

こんなに違う脳を持っている男女は、物事を捉える観点が違って当然なのです。

 

私も昔、未来の自分の結婚相手に、こんな理想を抱いていました。

沈みゆく夕陽を一緒に見つめながら、同じ感動に満たされる二人。

言葉なくても、二人の心は完全に一致していて、お互いの心を100パーセント理解することができる…

ところが結婚して間もなく、こういうことは恐らく絶対に起こらないだろう、という痛い現実に直面したのです。

 

夫と私は、感性が全く逆でした。

好みの音楽や映画も正反対かと思えば、趣味や食べ物の好みも合いません。

私が寒いと言えば、夫は暑いと言う。

だから夏は、エアコンの温度設定をめぐって、いつも喧嘩になります。

一体なぜ、こんな正反対の男性に惹かれたんだろう?と、いくら考えても後の祭り。

 

ところが後年、黒川伊保子さんの「夫婦脳」を読んで、「なるほど!」と膝を打った私でした。

黒川さんによると、夫婦の脳は、一般の男女の脳の違いをはるかに超えて、すれ違っているそうなのです。

ではなぜ、そんな途方もなく違う脳を持つ二人が、惹かれ合うのか?

その疑問に対しては、こう答えられています。(以下引用)

 

夫婦ほど、脳科学的に興味深い関係も珍しい。何せ、生殖相性(遺伝子配合の相性)は、人としての相性に反比例する。

男女は、生殖相性の良さを察知して恋に落ちるので、「激しく愛し合った二人」ほど、人間相性は最悪ということになる。

生殖相性を決定するのは、遺伝子の免疫抗体の型。これは、生体としての反応の傾向を決定する。たとえば、いきなり聞き慣れない爆音が起こったら、とっさに駆け出すのか、しゃがむのか。

夫婦というのは、このような無意識の反応が同じにならない組み合わせになっている。

そうすれば、どちらかが生き残れるし、子供に残す遺伝子の組み合わせも増えるからだ。

(出典:黒川伊保子著「夫婦脳」)

良い子孫を残すため、正反対の男女が惹かれ合う

さて、遺伝学では優秀な子孫を残すためには、出来るだけ遠縁の血の組み合わせが良いと言います。

純血種というのは、実は遺伝的には弱く、近親婚を繰り返す家系には、遺伝病や精神薄弱などがしばしば表れてきます。

親の持つ遺伝情報が違えば違うほど、子供は優秀になり生命力が強いため、人間も本能的に、この自然の法則に従って遺伝的に正反対の相手を引き寄せています。

しかし、それは人間的に見る時は、全く気の合わない相手・理解しがたい反応をする相手という結論になるのです。

 

ところが上手くしたもので、恋愛期間には自分と正反対の免疫抗体を持つ相手から出るフェロモンに惹かれて、恋に落ちるようになっています。

そして、子供を作るための最初の3年間は、フェロモンの魔術で「アバタもエクボ」と見え、相手のアラが目に入らないようになっているのです。

それが過ぎると、お互いの違いが突然見えてきて、「なんで私、こんな男に恋したんだろ?」ということになってしまうのです。

 

これが俗にいう、恋の賞味期限。

でもこの期間があるがために、人は感性の真逆な人と恋に落ちることが出来る。

そして、真逆であるがゆえに、子供の生存確率は上がる、ということなんです。

創造主は、実によくしたものですね。

男女の脳は、全く別物。だからこそ分かり合う努力が必要

多くの御夫婦をカウンセリングする中で、「夫が気持ちを分かってくれない」という妻側の不満の声をよく聞きます。

夫がわかってくれないのは、愛がないからじゃない。

そもそも夫は、妻が何をわかって欲しがっているのかが、わからないのです。

わかりたくても、わかる感性を持ち合わせない男性脳が、言わなくても察してほしい女性のデリカシーを理解できるはずがありません。

そう考えれば、今あなたが人生を共にしている生涯の伴侶こそが、男女の違いという永遠の神秘を日々体験させてくれる貴重な相手だと言えるのではないでしょうか。

 

私自身、自分の結婚生活を振り返って、一つ自慢できることがあるとしたら、どんな時も会話によってお互いを理解しようとしたことです。

たとえ激しい夫婦喧嘩になったとしても、相手が何を考えているのかを理解するまで、また私が何を感じているかを相手に理解させるまで、怒鳴りながらでも、泣きながらでも、会話しつづけました。

今思えば、もっとスマートなやり方で、ぶつかり合わずにコミュニケーション出来たらよかったかも知れません。

でも、たとえ不格好であったにせよ、互いを理解することを諦めなかったことが、私たちが今まで夫婦を続けてこれた秘訣ではなかったか、と感じています。

夫婦の円満は、老後の幸せを決定づける

夫婦の問題は、時代を問わず人類最大の関心事であり、誰も正解を教えてくれなかった問題です。

歴代の哲学者も、宗教家も、心理学者も、人類学者も、これに対してキレのいい解答を与えてくれてはいません。

医療技術の発達で、年々平均寿命が延びるなか、子供が巣立った後の長い余生を共にする夫婦の関係こそが、人生の幸福度を決める最大のファクターとなりつつあります。

夫婦の幸せ研究は、今後人類が突き詰めていくべきであり分野であり、生殖と子育てという最大の使命を終えた後の夫婦が、熟年以降の暮らしをいかに満足できるものにするかが、問われている時代です。

長引く老後を、物心ともに満たされて過ごすためには、中年以降からの蓄財と共に、夫婦の関係性を確固たるものにしていかなければなりません。

 

長い人生、夫婦問題が全くない夫婦というのは、いないかもしれませんし、人間である以上間違いも犯すことがあるでしょう。

しかし、そうした夫婦の危機に直面した時、互いをどのように見るかによって、その後の人生が変わっていきます。

一生を共にする人生の同伴者として考えるなら、相手の間違いや足らなさを許してやる寛容さも、時には必要です。

「もともと他人で、また他人に戻るのだ」と思えば、離婚など、いともたやすいことですが、夫婦というのはそれ以上のものではないでしょうか?

全く違う脳を持つ夫婦が、お互いの心を分かり合う努力をどれだけしてきたかが、老後資金の貯蓄以上に大切なことではないでしょうか。