【実話】どん底から夫との愛を取り戻した「私の夫婦修復物語」
はじめに:なぜ、あなたにこの物語を伝えるのか
こんにちは。夫婦関係修復カウンセラーの杉谷さゆりです。
このページを開いてくださったあなたは、今、ご主人との関係で悩み、出口の見えないトンネルの中にいらっしゃるかもしれません。
「もう無理かもしれない」「私さえ我慢すればいいの?」…そんな孤独な声が聞こえてくるようです。
実は、私自身もかつては同じ場所にいました。
夫との関係が壊れ、自信を喪失し、毎日泣いてばかりいた時期があります。
今日は少し照れくさいですが、私が絶望の淵からどうやって夫との絆を取り戻し、今の幸せな家庭を築くに至ったのか。
その「再生の記録」を包み隠さずお話しします。
これは単なる私の昔話ではありません。
「どんな状況からでも、夫婦はやり直せる」
その希望を、あなたに手渡すための物語です。
第1章:コンプレックスの塊だった私
私は…小さい頃から劣等感の塊のような子でした。
何に劣等感を感じていたのかと言うと、私は小さい頃から背がずば抜けて高かったのです。
今でこそ、背が高いのはカッコいい!ともてはやされる時代となりましたが、当時は女の子が男性よりも背が高いなんて、もってのほかで、しかもサイズの合う服が殆どありませんでした。
靴もズボンも男性ものしか合いません。小学校の頃は、年中ジャージを着て過ごしていました。
そんな私とは対照的に、妹はアイドルのように可愛く、背も適当な高さでした。
ですから私は、うんと小さい頃から「私は女性としての魅力ゼロなんだ!」と思っていたのです。
背が高くても、顔が美人とか、運動が出来れば、モデルやスポーツ選手の道もあったかもしれません。
でも私の顔は至って平凡でしたし(当時は自分で自分の顔がキライでした)、小さい頃から体が弱く、運動は大の苦手でした。
だから人並み外れた背の高さは、私にとってはコンプレックス以外の何物でもなかったのです。
女性として魅力のなかった私は、学生時代ウーマンリブに傾倒し、男に頼らずに生きようと決意していました。
モテる女子を横目で見ながら軽蔑し、「男に媚びを売る女にはなりたくないものだ」な~んてマジで思ってました。
でも本当は、そうなれない自分をひがんでたんですね…。
高校生になっても、私は男子と肩を並べる背の高さで、男子が気軽に声をかけづらいオーラを全身から発していましたから、全く人気もなく、交際の申し込みもありませんでした。
バレンタインには、反対に女性からチョコをもらったりしてました!
大学時代には、男ばかりの研究室にいて、彼らと毎日のように飲み会に行っていましたが、誰一人として私を女性として見る者はなく、アネゴ的な存在として悩み相談などに乗っていました。
さて、そんな私が不思議な縁で今の夫に出会ったのは26歳の時。
彼は仕事柄、世界を旅することが多い人でした。
私自身、世界を旅したいという夢を持っていたので、そんな彼の話に引き込まれ、豊富な見聞に感心したのを覚えています。
ところが、そんな折に私の体調が突然悪化し、入院することとなったのです。
血液中のヘモグロビン濃度が普通の人の4分の1という、ありえない結果に医者も首をかしげました。
様々な苦しい検査の末、腸の難病である「クローン病」(特定疾患)だということが分かりました。
死ぬような病気ではないけれども、現時点では完治のための治療法がなく、一生病気を抱えて生きていかなければならない、と言われたのです。
私は目の前が真っ暗になりました。
せっかく出会った彼とも、結婚は難しいだろうと思いました。
なぜなら、毎月あるはずの生理まで止まってしまうほどの極度の栄養失調状態になっていたからです。
結婚しても子供が出来る可能性は低く、入退院をくり返すことになるだろう、と言うお医者さんの言葉に、涙が止まりませんでした。
私のことを女性として愛してくれそうな男性に初めて出会ったのに、その人と結婚することが難しくなってしまったのです。
なぜ自分には、イヤなことばかり起こるのだろう、と運命を呪いたくなる思いでした…。
第2章:結婚、そして試練の日々
今の夫との出会いは、私に人生初めてのトキメキを与えてくれました。
生まれて初めて、私のことを女性として愛してくれる人だと感じたからです。
しかし、私が難病に罹ってしまってからは、結婚の希望を持つわけには行かなくなりました。
子供も産めないかもしれない…長生きできないかもしれない…入退院を繰り返すかも…。全てが不安でした。
こんな自分は生きてる価値もない、家族の重荷になるだけだ、とさえ感じました。
結婚しても相手に迷惑をかけてしまうだけだし、まして海外駐在の多い彼と共に世界を廻るとなると、こんな体で生きていけるのだろうか、と様々な思いが頭を駆け巡りました。
しばらくの間は、彼に真実を話すことが出来ませんでした。
しかし入院が長引き、彼も心配して、私に「本当のことを教えてほしい」と言ってきたのです。
私は、もう捨てられるのを覚悟で、全てを正直に話しました。
一生治療の必要な身であること。今の医学では治らないということ。子供が出来る可能性も少ないこと…。
その当時まだ珍しかった私の病名に、彼は何の知識もなく、突然恋人を襲った病魔に、なすすべもない様子でした。
でも、しばらく沈黙した後、彼は「それでもいい、結婚しよう」と言ってくれたのです。
こうして私たちは結婚に踏み切りましたが、私たちの結婚生活は、最初から平坦ではありませんでした。
私は定期的に点滴や輸血を繰り返しながら、何とか生きながらえていました。
時には何も食べられなくなり、栄養輸液だけで何か月も絶食して過ごしました。
腸が正常じゃないため、大変な悪臭のするガスが頻繁に出て、一緒に寝ている夫に迷惑をかけたりもしました。
夫は、ガスが出る度に「もっと出しなさい、我慢すると体に良くないから」と言って、顔をしかめながらも耐えてくれました。
私は、そんな夫に感謝の涙を流しながらも、自分の自己肯定感が限りなく下がっていくの感じていました。
弱い自分、夫に迷惑をかけながら生きている自分。
骨と皮になった体には女性らしい健康美も、ハツラツとした生気もありませんでした。
夫婦生活も大変で、夫は時々私を見ると可哀そうになって、抱く気にもなれない、と言うこともありました。
朝起きて、まず私の鼻をみて、呼吸しているかどうかを確かめるのが夫の日課だったのです。
私は徐々に、夫がこんな私を愛するはずがないんだ、と思うようになり、夫が義務感から無理に私を愛そうとしているんだ、と考えるようになりました。
もともと私には、女としての自信がなく、劣等感しかありませんでしたが、病気になったことで、更に自分を愛せなくなっていました。
私は、夫がちょっと不機嫌だと、自分に対して腹を立てているのだと感じるようになり「あなたはやっぱり私を愛していないんでしょ」と夫を責めるようになりました。
夫がテレビに出てくる健康そうな女性を見て褒めたりすると、自分と比較して自分がみじめに感じられ、泣いたりしていました。
その頃の私は、全くの精神不安定でした。
夫が自分を愛してくれているのに、それを信じられず、
こんな自分が愛されるはずはない、いつかは捨てられるのではないか、という不安に慄いていたのです。
夫は、そんな私に疲れていきました。
そしてある日突然、「一人でアメリカに行く」と言い出したのです。
第3章:夫の渡米と奇跡の妊娠
もともと劣等感の塊だった私が難病に罹り、自分への自信を失い、精神不安に陥った時、私以上に苦しんでいたのは夫でした。
「一人で3年ほどアメリカに行く」
夫の勤める会社は、全世界に支店があり、2~3年ずつ海外に駐在する機会が与えられます。
夫は、自ら進んでアメリカに行くことを希望した、と言うのです。
私はショックで受け入れることが出来ませんでした。
常に治療の必要な私は日本を離れる自信はありませんでしたし、夫は勝手に単身赴任することを決めていたのです。
こんな私を一人残して、どういう神経なのだろうか?と理解が出来ず、夫に理由を問いただしましたが、夫は
「このままでは自分がダメになってしまう。さゆりさんをずっと愛し続けたいから下した結論なんだ」
と訳のわからないことを言うばかりでした。
その時私は既に29歳になっていました。
病気のため生理も止まっていましたが、夫婦が離れていては、万に一つの子供が出来る可能性さえ無くなるのだ、と絶望感を感じました。
夫の決意は固く、親族が集まって簡単な送別会をして最後の夜を迎えました。
私は今度いつ会えるかわからない夫と、忘れることの出来ない夜を過ごしました。
夫を空港に送った後、私は魂が抜けた人のようになり、これから先一人で過ごさなければならない時間が果てしなく感じられました。
ところが、それから1か月後、驚くことが判明したのです。
私は妊娠していたのです!
夫との最後の夜に結んだ愛が、命として私に宿ったのでした。
私は信じられない思いでアメリカにいる夫に電話をしました。
夫は心から喜んでくれ「奇跡の子だ」と言ってくれました。
病気の私が妊娠したので、親や親戚たちもビックリして祝福してくれました。
普段はひどい貧血で、歩くのもやっとの私が、どうしたことか妊娠中はとても元気で、無事に健康な男の子を出産することが出来たのです。
第4章:九死に一生を得て知った「真実」
その子が6か月になった時、私は夫と暮らすためにアメリカに向かいました。
ところが、アメリカに到着して間もなく、またしても恐ろしいことが起こりました。
私の腸が詰まってしまい、お腹の中で破裂したのです。
ショック症状を起こして救急車で病院に運ばれ、緊急手術をすることとなりました。
幸い一命をとりとめたものの、感染がひどく、高熱に浮かされながら死線をさまよいました。
日本から母も駆けつけてくれましたが、呼吸器やモニターでつながれ、体が倍ぐらいに腫れあがった娘の姿を見て、なす術もなく泣いていました。
夫は、私がやっと6か月になった子供を残して、そのまま逝ってしまうのではないかと思い、
健康でなくてもいい、何も望まない、ただ生きてさえいてくれたら…と祈るような思いだったと言います。
高熱は2週間続き、複数の合併性を併発し出したため、医者たちが「このままでは死んでしまうから、ダメ元で明日もう一度手術をしよう」と話していた、その夜。
奇跡が起こったのです。
体内に溜まった排泄物が全て出て、90キロにもなっていた体重が45キロくらいになりました。
ボールのように膨れていた体が、一気にもとに戻ったのです。
熱も下がり、その後は目覚ましい勢いで回復しました。
神様は、私たち夫婦に、お互いがどれ程貴重な存在であるかということを、この体験を通して見せてくれたのです。
私は九死に一生を得たにもかかわらず、内面は癒されていませんでした。
回復すると、また夫の愛を信じられなくなり、夫を苦しめました。
手術後、体力が無くなり子供の世話も満足に出来ない自分が「役立たずの母親」に感じられ、夫や子供にストレスをぶつけていたのです。
今思えば、私は完全にアダルト・チャイルドでした。
小さい頃、長女である私に厳しかった父の影響で「強くなければ愛されない」という思い込みを強く持っていました。
病気になって、弱く依存的な存在になってしまった自分を、許すことが出来なかったのです。
自分を愛せないので、心がいつも満たされず、夫に対しては要求が強く、子供に対してはコントロールする母親となっていました。
相手が自分の思い通りにならないと、内面から強い怒りが湧いてくるのをどうすることも出来ませんでした。
夫とは、しょっちゅうぶつかりましたが、それは夫の強い性格のせいだと思ってきました。
ところが、それまで従順だった子供が思春期になって、私に対する恨みを爆発させるようになったのです。
「ママなんか大嫌いだ!まったく尊敬出来ないし、自分の思い通りにならないと、すぐ怒るんだ」
と私に言えないホンネを、夫に話してきたのです。
そして学校に行かなくなってしまいました。
夫から、息子の言葉を聞いた私はすっかり途方に暮れてしまいました。
なぜ…? 自分なりに一生懸命やってきたのに…完璧じゃないけど、いいお母さんを目指して精一杯頑張ったのに…!
私の、母としての自信は粉々になり、どうしたらいいのかわからず、藁をも掴みたい思いでした。
そんな時、私とカウンセリングとの出会いがあったのです。
第5章:一筋の光、そして心理学との出会い
若くして難病に罹り、妻としても母としても自信のなかった私が、何故カウンセラーの道を選んだのか。
それは、どん底に陥った私の心に、行くべき道を示す一筋の光に出会ったからです。
それまで私は、私の寂しさは全て周りから来ている思っていました。
私が愛する夫から十分に愛されてる確信がないとき、私が愛する息子から「ママなんて大キライ」と言われたとき、
私はこんなに愛してるのに、なぜ想いが伝わらないの?と寂しく、悲しくなっていたのです。
愛されないのは自分が足らないからだと思っていました。
そう思えば思うほど、「愛される資格のない自分」というセルフイメージが強まっていったのです。
最愛の息子が学校を辞めた時、私は取り乱して夫に訊きました。
「ねえ、言ってよ! 私の何が問題なの? こんなに頑張ってきたのに…教えてちょうだい!」
夫は重い口を開いて語り始めました。
「俺も息子も、ママを満足させることは永遠に出来ない、と感じるんだ…」
「どういうこと?」
「もちろん愛してるよ。でも君はいつだって満たされてない」
「私がそんな風に見えたっていうの?」
「君自身は気付かないかもしれない…でも君はいつも俺や息子にとても多くのこと要求してるんだ…。そしてその要求を満たすことは永遠に出来ない…。俺は息子の気持ちが、とてもよくわかったんだよ」
夫は続けました。
「君が病気だということは、俺にとっては問題にならない。でも、君の心が健康でなく満たされてないことが辛かった…」
私はショックで言葉が出ませんでした。
息子だけではなく、夫まで…だから一人でアメリカに行ってしまったの?私がそんなに重荷だったの…?
私は子供のようにボロボロ泣きながら、夫に言いました。
「じゃあ、どうしたらいいの…? 教えてよ…もう何もかもわからない…自分がわからない!」
「俺は昔大学で心理学を学んだんだ。カウンセラーになるためじゃなく、自分の心を知りたくて学んだ。その時俺は、人がどんなに自分自身の姿を知らずに生きているのかを知って、愕然としたんだよ」
「・・・」
「君が学びたいなら、良い教材を紹介してあげるよ」
それから私は、夫が紹介してくれた講義や本で必死に学びました。
そうすることによって、今まで知らなかった自分の心の中に光が差し込んだように、自分というものを初めて、客観的に見ることができたのです。
夫は私にインナーチャイルドの癒しのワークをしてくれました。
私は子供時代の辛かった思い出を、次から次へと夫に話してはボロボロと泣き続けました。
夫は小さい子供を扱うように、私の頭を撫でたり抱きしめながら、その話を延々と聞いてくれたのです。
それまで夫のことを、情に厚いけど大変短気で怒りっぽい人と感じていましたが、実はそれは私が、厳しかった父の姿を夫に重ねていたためだということが分かりました。
私の父は、長女であった私に厳しく、4歳くらいまではメソメソするとすぐにトイレに連れて行かれて、頬っぺたが青くなるまで殴られていたのです。
その場面が、映画の一コマのように心に焼き付いたまま、どうしても、納得することが出来なかったのです。
なのに私は、父に一言も反抗することが出来ませんでした。
抑圧された思いは、潜在意識に溜め込まれ、結婚後は、夫に対して父への怒りが爆発するようになったのです。
このワークの後、私は夫と父は全く違う人間なのだということが、やっと心の底から理解できました。
それまで、夫の怒った顔に敏感に反応し、瞬間的に心の底から怒りが湧き上がってきましたが、それがすっかりなくなったのです。
私は夫に感謝しました。
でも、これで全てが解決ではありませんでした。
私は、自分を愛するということを、やっと学び始めたばかりだったのです。
第6章:自分探しの旅、そして真の修復へ
私は心理学を学ぶことで、多くのことに気付きました。
私が夫に求めていたこと、それは厳しかった父親の代わりに私のことを丸ごと受け入れてくれることでした。
父は長女である私に期待をかけ、優秀であることを願っていました。
男の子のいない家で、私は女に生まれたことを恥ずかしく感じていたのです。
小さい時に、母が「
長男の嫁として男の子を産みたかった」
とポツンと言った言葉が胸に焼き付き、男の子でなかった自分は存在してはいけなかったのだろうか?と幼心に思ったのです。
それ以来、私の潜在意識は常に私を駆り立てました。
「男の子より強くあれ!」「男の子より優秀であれ!」
どうして、そんな高望みをしたのでしょう?
その答えは、ただ一つ。
「親に愛されたかったから」です。
結婚してからは、夫に嫉妬心が湧いてきました。
「私が男だったら、あなたのように生きれたのに!」
広い舞台で活躍する夫が羨ましく、家にひっそりといる自分が、情けなく感じられました。
「あなたは光、私は影」みたいに…。
夫に対して、わざわざ嫌われるような行動をし、
「こんな私でも愛せるの? 本物の愛かどうかを見せてよ!」
と、心の中で叫んだりもしました。
女として魅力のない自分に自信がなく、男のように強くもない自分がキライで、病気をしたことで、更に自分を卑下していたのです。
夫は、そんな私の無意識から出てくる底なしの要求に疲れていきました。
「君を満足させることは、永遠に出来ない…」
夫の言葉が、頭の中でこだましています。
私、どうしてこんなふうになっちゃんたんだろう?
それを知るために勉強し始めた心理学の講座で、講師が黒板に書いた言葉が目に飛び込んで来ました。
【自己理解・自己受容・自己表現】
「自分自身を知ること、受け入れること、感情と要求を表すことが大切なのです」
私は私自身を知っていると思っていましたが、そうではありませんでした。
私が私だと思っていたのは、心全体から見れば3パーセントにも満たない意識の中の、自我と呼ばれる部分に過ぎなかったのです。
忘れ去られた過去の記憶、抑圧された感情などが眠る、広大な海のような無意識と呼ばれる世界に、私は目を向け始めました。
合理的で現実主義的な自我(エゴ)は、現実に適応するために不適切な感情や欲求を無意識の世界に追いやってしまいます。
それは自我の防御機制と呼ばれます。
例えば、あまりにも辛い記憶は、自我が意識の中から消してしまいます。
それに向き合うことが、あまりにも辛すぎるため、自我がとる防衛策なのです。
でも、感情というのはエネルギーですから、表出されることでしか消えません。
こうして無意識の中には、自我が向き合いたくない感情や欲求がどんどん溜まっていきます。
これらの記憶・感情・欲求は、地球に例えるなら硬い地殻の下でドロドロと対流するマントルのようなものです。
地殻(自我)の一部が弱くなると、そこから抑えていたものがマグマのように噴き出してきます。
現在の感情が、過去の記憶とつながって感情の連鎖的反応の嵐に飲み込まれてしまうのです。
無意識の世界に、溜め込んだものが多い人ほど、見せている自分と本当の自分との間にギャップを感じ、生きづらさを感じてしまいます。
これこそが、まさに私の姿でした。
私は、自分の無意識に向き合うために、本格的なカウンセリングを受けることにしたのです。
最終章:すべては「魂の成長」のために
思えば、夫婦問題を通して、自分探しの旅に出た私。
一人でいた時は適当に避けて通れた自分の問題点が、夫いう鏡を通して浮き彫りになってきたのでした。
たとえ夫婦問題の原因が100パーセント相手にあるように見えても、よ~く見てみると、自分の中にもそれを引き寄せる何かがあるのです。
私自身、実際にカウンセリングを受けて驚いたのは、私の潜在意識の中にあった意外なものたちでした。
今まで向き合わずに目を逸らしてきたものが、そこに押し込まれていた、という感じでした。
例えば、親へのネガティブな感情は、私の意識が巧妙に隠してきたものの一つでした。
私は自分の親が大好きで感謝していましたし、その気持ちに嘘はないと思ってきました。大事に育ててもらった、と思ってきたのです。
でも、この世に完璧な親は一人もいません。
たとえ親自身のせいでなくても、親がまたその親から引き継いできた間違った信念や思い込みを、無意識のうちに子供に伝えてしまっていることがあるのです。
家系というものを見ると、如実にそれが表れています。
離婚の多い家系・自殺の多い家系など、血統という乗り物に乗って受け継がれる、何かがあるのです。
私は学生時代、作物におけるDNA解析や遺伝学を勉強していましたが、親から子に引き継がれるものは身体的な特徴だけではなく、
体質や気質などの目に見えない形質も同じように受け継がれるということを知りました。
しかも、同じ親から生まれた兄弟なのに、全く違う個性を持っているのは、それぞれ別の先祖の影響を受けているからなのです。
先祖代々のDNAによって織りなされた私という個性が、全く違うDNAを持った、夫という個性と結びつくのが結婚です。
二つの全く違うルーツを持つ、夫と妻のDNAが、絶妙にブレンドされて生まれてくる傑作、それが子供たちです。
ですから夫婦の問題には、歴史的に先祖たちが絡んでいると言って過言ではありません。
また夫婦の関係が円満でないと、その合成体である子供たちに計り知れない打撃を与えるも事実です。
私にとって夫婦問題の悩みは、自分を真の自分に導いていくための起爆剤となりました。
そのような痛み無くしては、内面に向き合うことはなかったと思います。
そう考えると、もし夫と出会わなかったら、私は死ぬまで自分の本当の姿を知らなかったかもしれないし、変わることもなかったかもしれません。
何の悩みのない環境では、あえて内面世界に目を向けることなく、安易に生きることが出来ます。
でもそれは環境によって左右される幸せであり、長続きしません。
これとは対照的に、痛みを通して内面に向き合い、自分という存在の真の価値を知った時に出会う幸福感は、枯れることのない泉のように、人生のあらゆる試練の中でも、あなたを支え続けるのです。
あなたも、この喜びに出会ってほしい
この世に男と女がいる限り、夫婦の問題はなくならないとしても、それを通して自分の内面に向き合い、自分という存在の歴史的な立ち位置を知るとき、
旦那さまとの出会いは、DNAが引き寄せ合った必然の縁であり、同時に先祖からの越えるべき課題を背負った二人なのだということを知ることができるのです。
今、あなたが抱えている問題は、終わりではありません。
それは、あなたの魂をより成長させ、輝く人生を手に入れるためのプロセスなのです。
あなたが、今の試練を越えた向こうには、より高い次元に成長したご自分が待っています。
次は、あなたの番です。
もし今、一人で抱え込んで辛い思いをしているなら、私に話を聴かせてください。
「どん底」を知っている私だからこそ、あなたに寄り添い、具体的な解決への道筋を示すことができます。
一緒に、その苦しみのトンネルを抜けてみませんか?

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